SENDAI 光のページェント
今年で30回目を迎える「仙台光のページェント」 すっかり冬の風物詩として定着しました。
定禅寺通のケヤキ並木に星降るような数十万球の美しいイルミネーションが光り輝きます。
杜の都を美しく彩るイルミネーショはオレンジ色一色の温かい雰囲気を醸し出し、
落ち着きがあり、大人の夜をロマンチックなものにしてくれます。
ビルのガラスに映るイルミネーションやオシャレなレストランも、大人の夜を演出しています。
雪でも降ったらもっといいでしょうね。
- 2019-04-04 07:00 |
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みちのく YOSAKOI まつり
歴史と伝統のある街仙台の人気のイベント「みちのくYOSAKOIまつり」です。
今年で18回目となり、今や仙台の秋の大イベントとしてすっかり定着し、
県内外から参加者や見学・観光のために多くの人が訪れました。
10月10日、11日仙台市青葉区の勾当台公園や市地下鉄沿線の8会場で開催されました。
宮城県を中心に東北6県や北海道、高知県などから174チーム約8,000人が参加しました。
今年は2日間で約100万人の観客が訪れたと言います。





- 2015-12-11 14:15 |
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仙台クラッシックフェスティバル
国内外で活動している音楽家がクラシック音楽の演奏を繰り広げる、恒例の「仙台クラシックフェスティバル」がありました。「仙台クラシックフェスティバル」は、多くの市民に気軽にクラシック音楽を楽しんでもらおうと、毎年この時期に開かれていて、ことしで10回目だそうです。今年は国内外で活動しているピアニストやバイオリニストなど62人と16の団体が、仙台市内の4か所のホールや地下鉄仙台駅などを会場に演奏を繰り広げました。「生演奏を楽しんでもらうというのが大きなコンセプトの1つであり、演奏者の思いが客席に伝わり一緒に感動を体験して頂きたい」ということです。又、地下鉄駅構内などで無料コンサートも開催されています。
地下鉄駅コンサート「旭ヶ丘駅」

ピアノ:斎藤初美さん ソプラノ:熊坂真里さん
アルトサクソフォン:沼倉由佳さん ピアノ:千葉優美子さん
- 2015-10-05 17:54 |
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霞ヶ城 (山形)
山形城(やまがたじょう)は、別名を霞城(かじょう)、霞ヶ城(かすみがじょう)と呼ばれ、最上氏の祖・斯波兼頼が、延文2年(1357)に築城したと伝えられ、現在の城郭は11代当主最上義光(よしあき・最盛期57.5万石)によって築いたものが原型とされている。
最上氏11代当主義光の代に、関ヶ原合戦の戦功により57万石の大々名となり、実質100万石の城下町として山形は繁栄したが、城主は11氏が頻繁に交替し、最後の城主水野氏は、僅か5万石で明治維新を迎えた。
現在は霞城公園(かじょうこうえん)として市民に親しまれている。
霞が城公園の山形県立博物館
「縄文の女神」 国宝 (舟形町西ノ前遺跡から出土)
(玄関前のレプリカ)
- 2015-09-28 16:14 |
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The25th 定禅寺STREETJAZZ FESTIVAL in 仙台
仙台「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」9/12~13日 第一回開催は1991年。今年で25回目。 恒例の仙台の秋のイベントです。ちなみに去年は715バンドが参加、参加者数5,000人強とのこと。私は今年が初めて・・・。 おそらく七夕と同じくらいの人出でしょう。ものすごい人、人、人・・・。2日で100万人くらい? 勾当台公園や青葉通り、定禅寺通り、東二番町通りなどにステージが設けられていました。演奏のジャンルはなんでもありとのこと、一人の弾き語りからビッグバンドフル編成までと多彩。もう一つ楽しいのはビール工場直送という、おいしいビールが随所で楽しめたことでした。(トイレの心配の必要はありません。) それとオシャレな屋台がたくさん出ていて、これがうまい !!!(でもチョット高いかな・・?? )


メジャーな人もいました・・・矢野沙織さんです 東京都大田区出身のジャズミュージシャン。
アルトサクソフォーン奏者。
中学卒業後アメリカに渡り、やがてニューヨークのレストランなどで演奏するようになる。
(松永貴志&矢野沙織「Open Mind」)を演奏している。
2007年には花王ASIENCEのCM曲「I & I」を作曲・演奏し、自身もCMに出演した。



- 2015-09-14 13:43 |
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仙台七夕まつり
- 2015-08-08 15:36 |
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白河以北一山百文
明治維新の際に、薩長からこの「白河の関」より北は“白河以北一山百文”と蔑まれた東北 !!
(現・福島県白河市より北は、山ひとつ100文の価値でしかないと言われた。)
「河北新報」社名の由来より
東北では、「白河以北」という言葉は、蔑視と差別を意味する言葉です。
維新後の東北地方が中央から冷遇を受けた際、この言葉をバネに中央政府や官軍権力に対する反骨心を養ってきたのかもしれません。1918年に藩閥内閣を倒し、日本最初の政党内閣を樹立させた 原 敬は盛岡藩家老の家柄の出ですが、彼の雅号「一山」もこの言葉から命名したとされています。
今年も高校野球が始まりましたが、甲子園大会での優勝争いが「白河の関」を越えるという言われ方があります。これに歴史上の感情を重ね合わせる人はいないと思いますが、東北勢にとっては「白河の関」は今でも大きな山となっています。
- 2015-08-03 21:06 |
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船岡城址・・・樅の木は残った
山本周五郎の歴史小説「樅ノ木は残った」(もみのきはのこった)は、伊達藩家老 原田甲斐のお城・・船岡城跡。(宮城県船岡)
船岡城址公園に今もなお残る1本の大きな樅ノ木は、江戸時代前期(今から約350年前)に仙台藩伊達家で起こった「伊達騒動」を題材に、古い歴史をNHKの大河ドラマの中で蘇がえさせ、原田甲斐は一躍有名になりました。(昭和45年放映)
船岡城址公園は「日本の桜100選」に選ばれる桜の名所です。
頂上本丸まではこのモノレールのようなもので登れます。片道200円くらいだったかな?
「帰る時はボタンを押して呼んでください、すぐ参ります。」と言われました。ローカルでいいですヨ !!!
頂上の本丸は小さな公園になっています。ローカルな売店もあります。
休日でしたが静かで観光客もあまりいませんでした。もう少し整備しておけば・・・?
蔵王の山がきれいに望めます。手前の川は「一目千本桜」で有名な白石川。
![3B2EDC18B76D4B1A889EDC34B608E8DD_L[1]_convert_20150721145740](http://blog-imgs-80.fc2.com/t/m/z/tmzcaffe/201507211501211fa.jpg)
![004CA1B436FA4665B2FC0477415805DF_L[1]_convert_20150721145813](http://blog-imgs-80.fc2.com/t/m/z/tmzcaffe/201507211501231d9.jpg)
桜の季節はこんな感じのようで大勢の人が押し寄せるみたいです。
別世界ですね。(写真はお借りしました。)

少し足をのばして、ちょっと寄り道・・・村田町の「蔵の町並み」の通りです。
観光者用のパーキングがありましたが、他は別に何も・・・。もったいない!!
スレてない観光地です。

- 2015-07-21 15:14 |
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酒田 山居倉庫
- 2015-07-10 09:18 |
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那須 旧青木家別邸
明治13~18年頃、明治政府の殖産興業政策として、維新の英雄や華族達のヨーロッパ型大農場が沢山那須につくられました。そのひとつの「青木開墾」も明治14年に、国から土地を借受け開設されました。 開設者は、当時ドイツ特命全権公使であった青木周蔵子爵。 青木周蔵は、山口県出身でドイツ公使や外務大臣を務めた後、那須において農業開拓を行いました。 この建物はその時の農場管理を兼ねた別荘として、明治21年に建設されました。いかにも那須らしく明治のロマンが屋敷一帯に溢れています。 昭和40年代までは青木家の別荘として使用されていましたが、平成11年12月に国重要文化財に指定され、道の駅「明治の森・黒磯」に隣接した施設として一般に公開されています。
那須に行っても特別に宣伝をしている訳ではありませんから、このようなものがあることすら気が付きません。たまたま道の駅に寄ったらあったということでした。
- 2015-07-01 10:32 |
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新潟 萬代橋
信濃川にかかる石づくりの萬代橋は重要文化財だそうです。 美川憲一の昔の歌にもありましたね・・・。
私の好きな街の一つ新潟。・・・この街で何と言ってもおすすめは信濃川にかかる夜の萬代橋です。・・・昼間や橋の上からではその美しさがわからないかもしれません。 ・・・橋のたもとに「ホテルオークラ新潟」があって、ここの客室から眺めるのがいいです。古いホテルですが情緒があってこのホテルもおすすめです。

- 2015-06-10 15:43 |
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埼玉県入間市 「ジョンソンタウン」
かつての米軍「ジョンソン基地」(現 航空自衛隊入間基地)の軍人が住んでいた米軍ハウス
西武池袋線で池袋駅から約40分、入間市駅からけやき並木を歩いて15分。

旧日本陸軍の航空士官学校の将校とその家族が住むための住宅が建
設されたのが始りと言います。太平洋戦争が終わると旧航空士官学
校の飛行場は米軍基地となり、この米軍基地名を「ジョンソン基地」
と言ったらしいです。1950年に朝鮮戦争が勃発すると、この米軍の
ジョンソン基地は最前線基地となり、アメリカ本土から多くの将校
や軍人、家族がやってくることになり、ここにアメリカ仕様のハウ
スを建設したのだそうです。これが現在の「ジョンソンタウン」の
もととなる「米軍ハウス」でした。
街はいつしか「ジョンソンタウン」と呼ばれるようになって、
現在は古い米軍ハウスが24棟(改装した)、新築した平成ハウス35
棟、古民家7棟などの住宅に約130世帯が暮らしているそうです。
ジョンソンタウンは、白色で統一された昔風の美しいアメリカの
住宅街を見るようです。
(昔のアメリカ映画に出てくるような住宅です。)

現在はアメリカ雑貨を扱うお店や、ハンバーガー、イタリアン、
カフェバーなどの飲食店をはじめ、美容室や写真スタジオ、自
転車屋、家具屋やダンススタジオなど、50件ほどのお店がある
らしいです。そしてそのことがアメリカンなチョット違う商業
施設としても話題を集めるようになり、周辺住民はもちろん遠
方からも訪れる人が多くなったのだとか・・・。
なんともオシャレな街です。プチアメリカンです。

関東には今でもたくさんの米軍基地があります。有名なところでは
横須賀米軍基地、横田米軍基地、座間米軍基地、厚木米軍基地など
です。この他にも東京、神奈川、埼玉には駐屯地や通信施設などが
本当にたくさんあります。
若い時にこんなのを知っていたら住んでみたくなったでしょうね・・・。
- 2015-02-12 15:30 |
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東京湾 「海ほたる」
向こう側は千葉県の房総半島で、この道路の先は千葉県は木更津市です。東京アクアラインの「海ほたる」から千葉方面へは海上を走ります。

「海ほたる」は神奈川県・川崎と千葉県・木更津を結ぶ東京湾アクアラインのほぼ中間点に位置するパーキングエリアで人口島です。東京湾を360度一望できます。「海ほたる」から川崎側が海底トンネルで木更津川は海上道路となっています。川崎~木更津まで約15㎞で、都心あるいは神奈川から房総半島への走行距離、時間は大幅に短縮されることになりました。料金は開通当初は確か4500円程でしたが今は800円です。(安いです!!)

神奈川県川崎方向です。中央やや右手の白いトンガリボッチは東京湾
アクアラインの川崎側海底トンネルの入り口(換気口?)だと思います。
都心方向です。ビル群が見渡せます。
(中央やや左に東京タワーらしきものが見えます。)
(水平が取れていませんね ! 相変わらずへたくそですね・・・。)

水平線の左手に富士山らしきものがカスカにが見えます。

羽田空港方向です。

覚えていますか ? 以前は木更津~川崎間はフェリーが行き来していました。
小さなフェリーでしたが風情があっていいものでいた。
房総半島もう少し先の方の金谷~三浦半島の久里浜までのフェリーは
今でも運行しています。
小一時間ほどの船旅でしたがフェリーものんびりしていていいものでした。

千葉市方面です。ウイークディの朝の9時ころでしたが「海ほたる」
の駐車場はチョット遠いところに停めさせられました。「海ほたる」
の施設内はそれほど混んでいるわけではありませんでした。
休日は大変だと思います。
- 2014-12-13 00:55 |
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最古の木造小学校
田の滝」があるところとしても知られています。
ここはJR水郡線(水戸~郡山)大子駅から車で7~8分の場所にあります。
明治時代に建てられた木造の小学校校舎で、現存する木造の小学校では最古
と言われています。平成13年3月までは実際に使われていたそうですが、現
在は映画のロケ等に使われたり、普段は地元住民の陶芸教室や絵画教室等
に使われているそうです。(一般に公開しています。)
井上真央さん主演のNHK朝の連続テレビ小説「おひさま」のロケにも使われ
ました。こんな所で撮影しているのですネ。
前にも行きましたが、懐かしくて、つい遠回りしてでも寄ってみたくなりま
した。
- 2014-12-04 00:40 |
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「智恵子抄」東京に空が無いといふ
智恵子の生家(福島県二本松)
高村光太郎は智恵子の実家にしばらく帰省していました。
高村光太郎は31歳の時に3つ年下の女流画家・長沼智恵子と結婚しました。
智恵子の実家は福島県安達郡油井村(現在の二本松市)の酒造家でした。
『智恵子抄』は智恵子が他界してから夫婦の愛を綴った詩集として刊行
されました。

![takamura4[1]](http://blog-imgs-50.fc2.com/t/m/z/tmzcaffe/20141127234755ae0.jpg)
智恵子が見たかった「ほんとうの空」、あの山の上の空・・・
福島県の安達太良山(あだたらやま)は詩人で彫刻家の高村光太郎
の詩集『智恵子抄』に出てくる事であまりにも有名です。
あれが阿多多羅山(安達太良山)、
あの光るのが阿武隈川
「あどけない話」 (高村光太郎)
智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間(あいだ)に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
あどけない空の話である。
霞ヶ城(二本松城)
智恵子の生家より車で5~6分の所にあります。
会津の鶴ヶ城と同様、戊辰戦争では官軍との攻防がとても激しい戦いの
ようでした。
パワースポット「浅間大社」静岡県富士宮
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は、「浅間大社」
の略称で知られ、全国に 1,300社ある浅間神社の総本宮だそうです。
富士山を神体山として祀り、富士山8合目以上は「浅間大社」の境内地
(ご神域)ということです。(ウイークデイはあまり人はいなくて静かなところでした。)
すぐ後ろに富士山がそびえ立ちます。
又行って撮りたいと思ってます。
ここで一番のパワースポットは、社殿の右奥にある「湧玉池」です。
(国特別天然記念物)
この湧玉池の場所が「日本の中心」であると言われています。
湧玉池は、霊峰・富士山の雪解け水が溶岩の間を通って湧き出しています。
この池の流れが東京都心に流れる神田川になるのだそうです。
(駿河湾に流れていそうですが、ちょっと位置関係から想像できない感じがありますが・・・)
パワースポット②
日本の滝百選にも選ばれている名所「白糸の滝」
「浅間大社」から車で15~20分、白糸の滝があります。やはりパワース
ポットとして知られています。この白糸の滝は湾曲した壁面になっていま
す。そしてその壁面から水が染み出る形で流れ落ちています。
滝は高さは20mですが幅は200mあり、この幅は日本で最大だそうです。
白糸の滝は幾筋もの水が流れ落ちていることから、それが絹糸のような印
象を受け付けられた名称の由来のようです。
又、この滝の水は富士山の伏流水が壁面から染み出ているものです。
(富士山の水の滝だからパワースポットなのでしょうかね・・・)

「音止めの滝」
白糸の滝の手前にあります。豪快に流れ落ちるこの滝は、高さ25m、
瀑音を響かせて落下していて「音止めの滝」と言うそうです。
「音止の滝」は、見る位置によって音の大きさに違いがあるらしいです。
その昔、曾我兄弟が父の仇の工藤祐経を討つ相談をしていた際、滝
の音で声がさえぎられたため、しばし念じたところ滝の音が止んだ
という伝説が残されているそうです。
静岡県富士宮市上井出付近
青森県 弘前「けんかねぷた」
相手のねぷたに石を投げつけたり竹槍や木刀で乱闘し、しばしば死傷者が出たと言われています。
このため何度もねぷた禁止令が出されたことがあるといいます。
そしてこれが「けんかねぷた」と言われる由縁なのです。
(青森県弘前市)
のですが、この写真は弘前城の前の記念館に展示してあるものを写させていただきました。迫力があり
ます。「ねぷた祭り」は約半年にも及ぶ長く寒い冬を、我慢して我慢してやっと春となり、そして農作
業も一段落して夏を迎え、積もり積もったうっぷんを一気に爆発させるような・・・の祭りと聞きま
した。だから町中が祭りには爆発します。半端ではありません。
この町は、古いものと新しいものがうまくマッチしていて、青森市とは違う雰囲気が
感じられる街です。城下町であり、学都であり、そして妙にオシャレで、品のいい街です。
そしていつも思います・・・もっと写真を撮ってくるんだった・・・と。
大正ロマン「銀山温泉」山形県尾花沢
奥羽山脈ど真ん中 ! 雪深い秘湯 !! 当時の近代建築を受け継いで・・100年 !!!
に銀山として栄えた「延沢銀山」跡で「銀」を採掘中にお湯が出たとい
われています。銀山が閉山した後、銀山川の両岸には、三層四層の木造
バルコニー建築、外装には鏝絵(こてえ)が施された大正から昭和初期に
かけての建築の旅館が立ち並び、現在の温泉街の街並みなったそうです。
NHK連続テレビ小説「おしん」の舞台にもなりました。
「鏝絵」こてえ
鏝絵(こてえ)は、左官職人が漆喰(しっくい)を使い、
鏝(こて)で風景や文字などを描いたものです。
百年以上の風雪に耐えられるそうです。
銀山温泉の多くの旅館の戸袋には自慢の鏝絵が描
かれています。
鏝絵(こてえ)は、結構各地でみられますが、こんなに描かれているのは見たことがありません。
「宮沢賢治」雨ニモマケズ
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋(いか)ラズ
イツモシズカニワラッテイル
「注文の多い料理店」 宮沢賢治
「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません。」

「あるきたくないよ。ああ困ったなあ、何かたべたいなあ。」・・・・
その時ふとうしろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。 そして玄関には、
RESTAURANT
西洋料理店
WILDCAT HOUSE
山猫軒
という札がでていました。
「君、ちょうどいい。ここはこれでなかなか開けてるんだ。入ろうじゃないか。」
「おや、こんなとこにおかしいね。しかしとにかく何か食事ができるんだろう。」
「もちろんできるさ。看板にそう書いてあるじゃないか。」
・・・・・
十五分とお待たせいたしません。
すぐたべられます。
・・・・・・
「どうもおかしいぜ。」
「ぼくもおかしいとおもう。」
「沢山の注文というのは、向うがこっちへ注文してるんだよ。」
・・・・・・・・
「だからさ、西洋料理店というのは、ぼくの考えるところでは、
西洋料理を、来た人にたべさせるのではなくて、
来た人を西洋料理にして、食べてやる家とこういうことなんだ。
・・・・・・・・・
宮沢賢治記念館 岩手県花巻市
「岩手銀行」
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盛岡銀行の本店として1911年(明治44年)に完成した赤煉瓦造り3階建ての建物。
1931年(昭和6年)の岩手県金融恐慌で破綻し、後に岩手銀行本店として使用され
1983年(昭和58年)まで岩手銀の本店であった。国の重要文化財に指定されている。
「小江戸 川越」
「世に小京都は数あれど、小江戸は川越ばかりなり」と謳われていました。
川越は川越藩の城下町で、幕府との関係は深く、川越街道や新河岸川の船運で江戸
とは深く結ばれていました。
旧市街地北部の一部地域が重要伝統的建物群保存地区となっています。



天明3年(1783年)創業、代々川越藩の御用を勤めた「龜屋」は、まさに小江戸川越を象徴する老舗。


小江戸を象徴する町並みとして川越の蔵作りは有名ですが、実は明治時代に作られたもので、
明治26年の「川越の大火」で街の3分の2が焼けてしまったそうです。その後、火事にも強い
土蔵造りに再建したという事です。
100年の伝統 東京駅 丸の内
東京駅丸の内口。鉄筋レンガ造り3階建ての豪壮華麗な洋式建築。開業は1914年、第一次世界大戦の開戦の年です。向かって右側に東京ステーションホテルがあります。ここのラウンジにあるカフェで飲むコーヒーは雰囲気も味も格別なものがありましたが、改装になってからのカフェはどうなったのかなと思っています? 大正の時代から100年の伝統のあるホテルに一度は泊まってみたいものと思っていましたが実現できそうにもありません。 又、コーヒーと雰囲気だけで我慢かな・・・?
ミシュラン2つ星 松島「円通院」
松島 円通院は「ミシュラン観光ガイド」の二ツ星に選ばれたのだそうです!


松島には有名な瑞巌寺がありますが、この円通院はそのすぐ隣にあって
あまり知られていませんでしたが「ミシュラン観光ガイド」に庭園のすばらしさが
載るなどして広く知られるようになりました。
新緑の季節もいいですが特に秋の紅葉の時期は見事です。
武家屋敷 「小京都 角館」

「粋な黒塀」と武家屋敷の「小京都 角館」


角館は秋田の大名「佐竹公」の支藩があった城下町で京都文化への憧憬が城下町のデザインに
反映されたものらしい。街は古い冠木門(かぶきもん)や板塀の、まるで時代劇のセットを見るような
武家屋敷の建ち並ぶブロックと町家のブロックとにわかれていて、昔の面影が色濃く残っている。
街にはわざわざ京都から「枝垂れ桜」をふんだんに持ってきて植えたことなど、
佐竹公は風流で遊び心の持ち主だったらしいことがうかがえる。




武家屋敷の通りにあるお店をの「看板」や「物」を撮ってみました。
どの店もすごくおしゃれで「粋」です。
町全体を「現代の誰かが」トータルにデザインをしているのかな‥‥
と思わせるほどです。

角館 稲庭うどん
なかなかです。一度は来てみる価値があります。
しかし、休日は混んで大変。駐車場も入れません。
値段のくらいおいしいものを食べさせてくれると
もっといいんですけどね。
値段には都会も田舎もないみたいです。
ギネス認定 くらげ水族館
くらげ水族館に行ってきました。山形県鶴岡市にあります。
くらげ専門の水族館は世界で唯一だそうです。
ギネスにもi認定されたのだそうです。
(毒針をもったくらげの数№1で…。)
加茂水族館
伊達家学問所 「有備館」
有備館は震災で全壊したそうです。残念です。
有備館は伊達家三代敏親が武士の子弟を教育するために建てた学問所でした。
当時、現存する日本最古の学校建築ということでしたが…。

岩出山の酒造元 森民酒造店
有備館のすぐ近所です。
見学も出来るそうです。


森の中のそば屋さん 手打ちそば「もみじ野」
有備館からはちょっと離れていて 細い山道をだいぶ行ったところにあります。
晴れた日はテラスで食べるそばも格別です。
シルクロード「歴史の道百選」
一瞬の栄華を極めた「絹の道」 (歴史の道百選)
幕末から明治にかけて、忽然と歴史の表舞台に登場し、一瞬の栄華を極めた後、急速に人々の
記憶から忘れ去られていった道、日本のシルクロード「絹の道」です。
多摩の西の果ての一寒村にすぎなかった八王子鑓水()やりみずには、いわゆる鑓水商人として、
八王子産はもちろん信州や甲州、上州の生糸も八王子へ集積され、この道を通って横浜へ運び
ました。この交易により鑓水には一夜にして巨万の富を築いた成金的豪商が誕生したと言われ
ています。しかし「絹の道」の繁栄は長くは続かず、明治政府による鉄道網、道路網の整備に
より、わずか50年でその役割は急速に失われ、やがて歴史の彼方へ消え去ったのです。それと
共に栄華を極めた鑓水商人達も相次いで没落して行ったと言うことです。
八王子道 道標 (八王子市鑓水)
この道標は生糸を横浜港へ運ぶ時の道しるべとして慶応元年(1865年)に
建てられました。当時この道すじは、家屋敷が立ち並び外国人等も往来す
るほどの大変な賑わいを見せていたといいます。
当時の鑓水の生糸商、八木要右衛門の屋敷跡に絹の道資料館がある。
さくらはまだかな…。
今でも現存するかやぶき屋根の家(居住中)
「絹の道資料館」の近く
「小泉家屋敷」 東京都有形民族文化財